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8−(2) 新しい開発
昭和40年ごろの小郡町 今の小郡町(平成11年ごろ)
ひろし君のクラスでは、昭和40年の地図と今の地図をくらべて、小郡町のどんなところが変わったか話し合いました。
「山の方にもたくさんの家が建ったね。」
「駅の南には、新しいまちができたね。」
と、町の変わり方にびっくりしました。
新しくできた住宅地
仁保津土地区画整理事業
整備されたふれあい通り
ビルが立ちならぶ駅南地区
そこで、もっとも大きく変わった駅南地区が、どのように開発されたか調べてみることにしました。
学習の計画
新幹線開通前の駅南地区
小郡町に駅南という地名が生まれたのは、今から約20年前のことでした。
それまでの駅南地区は、水田が一面に広がる干拓地でした。
新幹線開通前の駅南地区の様子
新幹線開通前の駅南地区の地図
昭和48年から新幹線の開業に向けて駅前広場がつくられ、さらに、第一地区工事として、約35.5ヘクタールの新しい町づくりが始められました。
新幹線開通当時の駅南地区
昭和50年3月の新幹線の開業にあわせて、駅南地区では道路、公園などが計画的につくられました。
その後、昭和55年からは、第二地区工事として駅南地区の西がわ半分の地域、約35.4ヘクタールの新しい町がつくり始められました。
駅南地区の人口のうつり変り
駅南地区の会社数のうつり変り
今の駅南地区
今では、駅南地区約70ヘクタールが開発され、交通の便利さを生かして、約1400人の人口と約400社の会社が集まる大きな町になりました。人口の増加にともない平成4年4月には小郡南小学校が開校しました。さらに、国道2号線バイパスの南がわには、平成5年4月に総合交通センターが完成し、その中にある交通安全学習館を利用することもできます。このように交通の便利さを生かした町づくりが行われています。
これからの小郡町
小郡町では、くらしやすい町にするため、駅を中心とした地域の開発を進めています。交通の中心地としての便利さを生かして、「花と緑にかこまれた、うるおいのある流通福祉都市」づくりをめざしているのです。