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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 3月号より

あいさつについて考える

                          校長 藤田辰夫

 毎朝、昇降口で子どもたちを出迎えていますが、年度当初に比べ、ずいぶんとあいさつが良くなったという印象を持っています。
 さて、ある大学の先生が女子大生に「おはよう。」と声をかけたところ、彼女は黙ったまま通り過ぎてしまいました。先生は呼び止めてなぜ返事をしないのか尋ねてみると、「先生、人からおはようと言われたらなぜ返事をしなければいけないのですか?」 先生「それがあいさつというものでしょう。」、「でも先生、そんなの変ですよ。朝のテレビでアナウンサ−が『おはようございます』と言っても、みんな黙っているじゃないですか。それが普通じゃないですか。」−− その先生、テレビのあいさつと同一視されてひどく驚いたといいます。

 イギリスの家庭教育では、ものを頼む時には「プリ−ズ。」、何かをしてもらったときには「サンキュウ−。」それに「エクスキュ−ズミ−。」の三つは人間としての基本的なあいさつとしてしつけられているといいます。

 本校は、「あいさつ山口市一」を掲げて、PTAの生活教養部やおやじの会のあいさつ運動をはじめ、児童による学級持ち回りで、朝のあいさつ運動を繰り広げています。今回の学校評価アンケートの、あいさつに関する項目で、児童・保護者・教職員3者の結果のばらつきが気になりました。「あいさつはした」と思っても、それが相手に伝わらないと「あいさつをした」とは認識されません。また、あいさつはしたけど、「声が小さい。」とか、「表情が良くなかった。」とかの付加が付くと、結果、あいさつはよくないという結論になります。

 あいさつはまず自分からと心掛けていても、返事らしい返事が返ってこなかった時には「気」は曇ります。しかし、あいさつは、自身の内面を磨くものだと心得れば「おはようございます。」の一言にも、「今日も一日よろしく。」「お互いがんばろう。」という気持ちが表現できます。

 ある本に、「あいさつは、 『・』(中黒点)のようなものです。『人人人人人』と書くと、人はバラバラのような印象を受けますが、『人・人・人・人・人』と書くと、人はつながっているようにみえる。あいさつは、人と人をつなぐものではないでしょうか。」と書いていました。子どもたちに、あいさつをする意味をもう少し考えさせながら、個々に応じた、あいさつの評価がいるのかもしれません。



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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 2月号より

開校140周年に思う

                          校長 藤田辰夫
 
 明治5年(1872年)8月3日、時の明治政府による「邑(村)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを・・・」の大理想を掲げて学制が発布されました。そのわずか5ヶ月後の、明治6年(1873年)1月13日に、わが小郡小学校は開校しました。

 当時は、「南吉敷第一小学」として第一病院前の信光寺を教場にして創立されました。11月に「下郷小学校」と改称。さらに、明治8年に「椹野小学校」に改称し、明治9年(1876年)に、現ふれあいセンター前の当時町役場があった付近に移転します。そして、小郡小学校と改称するのは明治41年(1908年)、さらに、現在地に校舎が完工したのは明治45年(1912年)の3月1日です。

 このような幾多の歴史を経て、今年、平成25年(2013年)1月13日で開校140周年を迎えました。卒業生数は16,500名余り、最多児童数は、上郷小学校を分離する直前の昭和55年(1980年)の1,815名です。

 開校110周年記念誌には、「校舎は少し古いけれど、ピッカと光る学校にしたいものだ・・・。」とあり、「ピッカと光るものすなわち校風は、長い歴史と伝統の中から培われるものであり、日ごろの教育活動の積み重ねのなかから育つものである。」と綴(つづ)られています。また、プールの完成を受け、校舎改築事業完成記念として行われた130周年史には、「No.1からOnly One(競争から個性尊重に)の教育の推進と、教育の不易(学力と真心)の教育を子ども一人ひとりに・・・」という文言が見えます。

 学校の伝統や校風を具体的に言い表すのは難しいことですが、140周年という節目の年を機会に、少しでも目に見える、形あるものにするよう努力をしていかなければならないと感じています。かの有名な物理学者のアルベルト・アインシュタインは、50年前に現代を予言したような次の言葉を残しています。


 学校は、伝統という財産を次世代に伝える最も重要な手段です。そしてそれは、昔より今のほうがはるかに大切になっています。というのは、現代社会では、伝統と教育の担い手としての家族の役割が弱くなってきているからです。
 したがって、私たちの社会が健全に維持されるためには、学校の役割が昔に比べてますます大きくなっています。


伝統を受け継ぎ、さらにそれを乗り越えていくべく、全教職員が心を合わせ、また新たな小郡小学校の歴史を刻んでいきたいと考えています。


現存するかつての正門(現東門)




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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 3月号より

あいさつについて考える

                          校長 藤田辰夫
 
   そよげ風

              山口市立小郡小学校学校だより3月号
                 平成24年度No.11(通算40号)
      平成25年2月25日

                        校長 藤 田 辰 夫

 毎朝、昇降口で子どもたちを出迎えていますが、年度当初に比べ、ずいぶんとあいさつが良くなったという印象を持っています。
 さて、ある大学の先生が女子大生に「おはよう」と声をかけたところ、彼女は黙ったまま通り過ぎてしまいました。先生は呼び止めてなぜ返事をしないのか尋ねてみると、「先生、人からおはようと言われたらなぜ返事をしなければいけないのですか?」 先生「それがあいさつというものでしょう」「でも先生、そんなの変ですよ。朝のテレビでアナウンサ−が『おはようございます』と言っても、みんな黙っているじゃないですか。それが普通じゃないですか」−− その先生、テレビのあいさつと同一視されてひどく驚いたといいます。
 イギリスの家庭教育では、ものを頼む時には「プリ−ズ」、何かをしてもらったときには「サンキュウ−」それに「エクスキュ−ズミ−」の三つは人間としての基本的なあいさつとしてしつけられているといいます。
 本校は、「あいさつ山口市一」を掲げて、PTAの生活教養部やおやじの会のあいさつ運動をはじめ、児童による学級持ち回りで、朝のあいさつ運動を繰り広げています。今回の学校評価アンケートの、あいさつに関する項目で、児童・保護者・教職員3者の結果のばらつきが気になりました。「あいさつはした」と思っても、それが相手に伝わらないと「あいさつをした」とは認識されません。また、あいさつはしたけど、「声が小さい」とか、「表情が良くなかった」とかの付加が付くと、結果、あいさつはよくないという結論になります。
 あいさつはまず自分からと心掛けていても、返事らしい返事が返ってこなかった時には「気」は曇ります。しかし、あいさつは、自身の内面を磨くものだと心得れば「おはようございます」の一言にも、「今日も一日よろしく」「お互いがんばろう」という気持ちが表現できます。
 ある本に、「あいさつは『・』(中黒点)のようなものです。『人人人人人』と書くと、人はバラバラのような印象を受けますが、『人・人・人・人・人』と書くと、人はつながっているようにみえる。あいさつは、人と人をつなぐものではないでしょうか。」と書いていました。子どもたちに、あいさつをする意味をもう少し考えさせながら、個々に応じた、あいさつの評価がいるのかもしれません。


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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 1月号より

「生きる力」について考える

                          校長 藤田辰夫
 
 「生きる力」という言葉を何度も聞いたことがあると思います。
 現行の学習指導要領では、次のように規定されています。
「変化の激しいこれからの社会を生きるために、確かな学力、豊かな心、健やかな体の知・徳・体をバランスよく育てることが生きる力となる」。
 確かに、今の子どもたちには、知・徳・体をバランスよく育てるのは大切なことではあります。しかし、今の子どもたちの様子を見ていると、単純に子どもたちだけを指導すればいいようなことではないような気がしています。

 竹田津実さん、北海道で家畜診療所に獣医師として勤務し、その後、野生動物の診療に関わるようになり、キタキツネなどの野生動物の観察と撮影を始め、負傷した野生動物の保護及び治療、リハビリを行い、治癒した動物の野生復帰に力をつくしています。その著書に「野生は生きる力〜アニマルドクター動物記〜」というのがあります。この本の中で考えさせられた話を2つ取り上げます。

 キタキツネは一度に3〜5頭の子どもを産みます。子どものキツネは、自分で排泄ができないため母親がケアをします。1頭の子どもにうんちをさせたりおしっこをさせたりするのにおおむね4〜6分時間をかけます。しかも時として毛をなめてやるこ
ともあるので、1頭にかける時間は7〜9分ぐらい必要となります。したがって、次のケアが回ってくる30分から40分の時間が自分の時間なのです。すなわちお乳を飲んで眠るということをするのです。ところがたまたま1頭しか生まれないキツネが
いました。母親は熱心に世話をしました。それゆえに、子キツネはお乳を飲むこともできず、眠ることもできず気づいたときには瀕死の状態でした。おそらく、母親は何一つ悪いことをしたと感じてはいないでしょう。ひたすら、親の愛情を注いだだけで
あったと思いますが、それが子どもの命を左右することになりました。

 オーバーケアによる死、著者はそう名付けました。少子化の今、親の過干渉で子どもが自立ができない現象も起こっています。考えさせられる話です。

 水鳥であるカモがおぼれました。親にはぐれた子ガモを初めて水にはなったところ、ずぶ濡れになっておぼれたのです。実は、水鳥の羽毛には初めから水をはじくような機能があるわけではないようで、カモが水に浮くためには、自分のおしりのあたりから出る油をくちばしで全身に塗り込み、毎日毎日手入れをして水をはじくようにしていたのです。では、この子ガモたちはそれをなぜしなかったのでしょうか。この行為は、生まれつき身につけているものではなく、母親のする仕草をまねることで、自然に自分の生きる術を身につけていたのです。おぼれた子ガモたちは、幼いときに親とはぐれて、親の仕草をまねてその術を身につけることができなかったのです。さらに、油だけではなく、母親の両翼に抱かれ、そこから出たり入ったりすることで、羽に静電気が帯び、さらに、水をよりはじくことができるようになっていたのです。
 自然の仕組みのおもしろさを感じると同時に、人間社会でも、子どもたちに真似される行動、あたたかいふところ、それがないと子どもたちは本当に社会の荒波におぼれるかもしれません。

 「生きる力」を育む、文科省の定義も必要ですが、本当の意味で、子どもをどう育てていくのか、これらの話からそのヒントが見いだせそうです。


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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 12月号より

夢を追うということ

                          校長 藤田辰夫
  
 中国地区小学校長会が岡山県倉敷市であり、そこでの、筑波大学大学院の山海嘉之氏の講演が印象に残りました。山海氏は、世界初のロボットスーツ「HAL」を開発し、介護・福祉分野にいち早く実用ロボットを送り込もうとしている研究開発者です。

  『HALは、人間を支援していくことに焦点を当てています。ヒトの身体のしくみを利用し、神経の信号を読み取ってロボットに同じ動きをさせることができるロボットスーツです。HALを健常者が着用すると、片腕で40kg程度は軽く持ち上げることができ、また、筋力の弱った患者が着用することで、自律動作の支援やリハビリ支援にも用いることができるなど、実用化に向けた実験・開発が進んでいる。』と話し、高齢化の進展とともに、高福祉が求められる時代が到来し、障害をもった方や高齢者の方、さらには医療従事者の方から、「もう一度、自分の足で動きたい」、「何とか今よりも身体機能を改善したい」、「自宅でリハビリをしてみたい」、「患者さんの生活の質を高めてあげたい」といった要望に応え研究開発し、今なお、改良にも取り組んでいます。

 山海氏はこのような世界的な科学者ですが、その原点は、小学生の時に、アイザック・アシモフの「私はロボット」を読んでロボットに興味を持ち、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」にも影響を受け、科学者になりたいという夢を追い続けた結果であると話し、『ふるさと岡山で自然のなかで遊んだことや興味をもったことの実験を繰り返した日々、そしてその好きなことを認め、応援してくれた両親などが、ベースになっている。とにかく、好きなことをとことんやりなさい、好きなことを子どものうちにみつける、それに尽きるのではないでしょうか。それが見つかれば自然に勉強するようにもなります。』と話しました。

 そして、小学校の時に学んだ「夢や情熱を持ち、人を思いやる心」がその後の人生を形作っており、「HAL」を開発した原点でもある。小学校時代に興味関心を持ったことを追求することが夢を実現することにつながる。と話しました。

 この話から、初等教育の大切さをあらためて痛感しました。そして、子どもたちには、たくさんの本を読ませ、多くの人たちと関わらせ、大きな視野で物事をとらえ、たくましく育てていかなければならないと思いました。学校教育・家庭教育で、今後取り組む示唆をいただいたと思います。


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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 11月号より

手紙について考える

                          校長 藤田辰夫
 
 今年度の全国学力・学習状況調査のテスト問題に、手紙の書き方についての設題が出ていました。本校の結果は、「目的や意図に応じ、依頼する具体的な内容を選択する」は、正答率が66%(全国65%)、「目的や意図に応じ、適切に敬語を使いながら、返事の仕方と内容を記述する」は、正答率48%(全国55%)、「手紙の後付けに必要な、日付、署名、宛て名のそれぞれの位置を適切に選択する」は、正答率28%(全国23%)でした。特に3問目の後付けの位置の正答率が低かったのは、日常的に手紙を書く習慣や実際に手許で触れることが減ってきているためではないかと思われます。

 手紙に関する国語の授業は、
■第1,2学年で、○絵に言葉を入れること、○伝えたいことを簡単な手紙などに書くこと、
■第3,4学年で、○手紙を書くこと、○経験したことを記録文や学級新聞に表すこと、
■第5,6学年で、○礼状や依頼状などの手紙を書くこと、○経験したことをまとまった記録や報告にすること、
などを指導することになっていますが、指導時間も少なく限られており、定着が難しかったようです。

 最近では、我々大人も、メールやワープロなどの普及とともに、手書きで手紙を書くことが少なくなりました。時々直筆の手紙などをいただくと、その人の人柄が偲ばれ温かい気持ちになります。

 さて、礼法宗家の小笠原敬承斎氏は、『小笠原流には「書礼の次第」というタイトルの伝書があり、手紙に関する教えは数多く残されている』と、ある本に書いていました。それは、『脇付けというものがある。脇付けとは、相手に対する敬意を表すため、相手の名前の左下に記すことばのことで、その代表的なものに「机下」がある。この2文字には、直接相手に手紙を差し上げることを控え、相手のそばにある机の下に手紙を置いておきますのでお時聞があるときにご覧ください、という慎みのこころが込められている。』と書いていました。

 また、『昨今は手紙を便箋1枚で書き上げた場合、もう1枚白紙の便箋をつけることは無意味とする意見もある。だが小笠原流の伝書に、白紙を重ねることによって相手への敬意の念を表すことができる、と記されている。昔は紙が貴重だったため、白紙を添えること自体が礼の表れでもあったと考えられる。』と書いていました。手紙には、日本人の慎み深いこころと礼の精神という日本の文化そのものが表出していると考えられます。

 日本の文化といえば、今年度本校のクラブ活動に、「日本文化」というクラブができました。先日は、水墨画を書く活動をしていましたが、硯で墨をするということから始めていました。書写の時間では、墨汁で簡単に書いている子どもたちには、墨をするという体験だけでも新鮮だったようで、楽しんですっていました。それで書いた水墨画も濃淡があり、なかなかのできばえでした。
 我々は、つい便利なものを使うことに慣れてしまっていますが、たまにアナログ的なものを使うと、心が落ち着くことがあります。手書きの手紙を出すことで生まれる心静かな時間や、人と人との和を楽しむということもいいことではないかと思います。


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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 10月号より

「読んで!」を繰り返す子どもたち(読み聞かせについて考える)

                          校長 藤田辰夫
 
 「もう一回!もう一回!」。読み終わったばかりの絵本をまた読んでほしいと、繰り返し子どもからせがまれる。そんな経験をお持ちの方は多いはずです。話の内容は自分で言えるほど覚えていて、大人ならとっくに飽きているはずの絵本を、子どもはどうして何度もせがむのでしょうか。朝日新聞別冊の「GLOBE(グローブ)」に興味深い記事が載っていましたので引用します。


 絵本を読み聞かせている時に子どもの脳はどう反応しているのかを東京医科歯科大学の泰羅雅登(たいら・まさと)教授は、実験して調べてみた。知育の面で効能があるとすれば、ものごとの記憶・学習やコミュニケーションにかかわる脳の「前頭連合野(ぜんとうれんごうや)」が反応しているはず、と当初予想したが、読み聞かせをして脳の血のめぐりを調べると、前頭連合野はまったく反応がみられなかった。(中略)
 MRIでさらに詳しく調べたところ、読み聞かせの際に反応していたのは脳の内部にある「大脳辺縁系(だいのうへんえんけい)」 だった。大脳辺縁系は「うれしい」「楽しい」「悲しい」「怖い」といった感情をつかさどっている。「快・不快」「好き・嫌い」など、理性ではコントロールできない心の素直な反応を決めている部分だ。つまり、絵本を読み聞かせてもらっている子どもたちは、より原始的な情動で反応しているともいえる。ただ、原始的な情動は、人間を含む動物がたくましく生きていくのに欠かせない。「例えばウサギが天敵に出合って怖い思いをすれば、その場所に行くのを理屈ぬきにいやがるようになる。それがそのウサギの生存確率を高める」。泰羅は、そう説明する。怖いことをきちんと怖いと思うことが、子どもたちのたくましさにつながる、というわけだ。逆に、子どもが親にほめられたとき、ちゃんと「うれしい」と感じることができれば、やる気が高まる。泰羅は言う。「脳はどんどん使っていかないとうまく働かない。子どものころから、大脳辺縁系に働きかけることは大切だ」(中略)
 泰羅は「絵本を読んでもらうことは子どもにとって楽しい体験で、何度でも体験したいと思う。それはまさに、大脳辺縁系が反応している表れだ」と話す。


 子どもにとり、楽しい体験を何度でも体験したいという本能からすれば合点がいく話です。絵本の読み聞かせは、「話を聞く力や言葉からイメージする力を育てる」「本に興味をもつようになる」など、知育の面で効能があると考えて、「賢い子になってほしい」と願いながら絵本を読み聞かせる親にとっては、やや肩すかしの結果かもしれませんが、情動のこれからの発達を考えれば「もう一回」は多少我慢すべきかなと思います。
 今年も10月27日から11月 9日までの期間は「読書週間」です。「読書週間」は、「よい本をたくさん読んで、心を豊かに育てよう」という趣旨で設けられたものです。この「読書週間」が設けられたのは昭和22年ですから、既に65年もの歴史があります。
 文部科学省の「親と子の読書活動等に関する調査」によると、日頃の読書の状況では、児童の8割が本を読むことが「好き」「どちらかといえば好き」と答えています。




 ○ 本を読む理由は、「おもしろいから、楽しいから(82.6パーセント)」が最も多い。
 ○ 本を読む場所は、「自分の家や友達の家(82.7パーセント)」が最も多く、「教室」、「学校の図書館」、「町の図書館」などが続く。
 ○ 一か月に読んだ冊数は、「4〜6冊(17.4パーセント)」が最も多い。
 ○ 本を読まなかった理由は「本を読む時間がないから(46.4パーセント)」が最も多く、次いで「本を読むのが嫌いだから」、「読みたい本がないから」が続く。
 ○ 一か月の間に読んだマンガの冊数は、「21冊以上(17.1パーセント)」が最も多い。



 「読書週間」を機会に、本を読んだり、読み聞かせをしたりして、読書をより身近なものとして、楽しい世界を広げていくようにしたいものです。



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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 9月号より

夏休み作品展に思う

                          校長 藤田辰夫
 夏休みが終わり、2学期が始まります。本校では、9月6日(木)・7日(金)にランチルームで、夏休み作品展を行います。特別に、保護者の皆さんには案内は出しませんが、時間があればご来校いただき作品をご覧ください。

 さてここで、夏休みの作品を、どう受けとめたらいいのかを、考えてみたいと思います。私がまだ担任をしていたころは、夏休み帳があって、場合によっては教科の宿題があり、さらに自由研究・自由課題もあって、たくさんの宿題をしなければならない状態でしたので、その自由研究や自由課題は、どうしても親の手が加わったものが多くありました。教員も保護者も、「この作品は親の手が入ったものではないか。」と話題にしていました。高学年になれば、子どもたち同士でもそういう話をしていました。ところが、ある年、6年生を担任していたとき、一人の女の子が家庭科の作品で、エプロンを作ってきました。フリルのついたかわいいエプロンで、ポケットにはその当時流行っていたキャラクターのアップリケがつけてありました。縫い方や実用性などから、私は一目見て、親の手が入っているなと感じました。そして、作品の名票を見ると何と堂々と「親子共同製作」と記されていたのでした。その子も、「お母さんといっしょに作った。」......と公言してはばからなかったのです。

 この作品は、私が夏休みの子どもの作品をとらえ直すきっかけとなりました。夏休みの作品作りを通じて、親子のふれあいができるのだということに気がつきました。夏休みの作品にはこういうものがあってもいいのではないかと。そういう思いで見ると、この女の子の作品から、親子の様々な会話が聞こえてくるような気がしました。子どもの側からすれば、親が身に付けた技術や培われた経験を学ぶいい機会になります。親の側からすれば子どもの学びの姿がわかり、子どもを理解するいい機会になります。こういうことは、夏休みだからこそできることではないかと思いました。家庭教育の一つの形ではないかとも思いました。

 私は、とりわけ共同製作を奨励しているわけではありません。子ども自身の力でがんばってやりとげた作品もあるでしょう。これはこれで本当に価値あるすばらしいものです。家庭の皆さんの援助によってでき上がった作品もあるでしょう。そのどちらであってもかまわないと思うのです。大切なのは、子どもが作り終えた、やり終えたという、満足感なり成就感なりをもって、またやって見ようかなという気持ちになることが、大切だと思うのです。その過程で新しい考えや工夫の糸口を見つけたりすることができれば、夏休みの課題の目標は十分達成できたと思うのです。

 作品展には、3つの事柄があろうかと思います。1つは、子どもの努力を、認め励ます機会にしたいということです。反省しながらも、次への意欲を培いたいのです。できばえのいかんにかかわらず、今年の作品は今年で完結します。来年同じものを作っても、それはもう違うものです。唯一の貴重なものとして受け止めたいのです。2つめは、友だちの作品を見てアイディアに気がついたり、学ぶべきところや、自分の作品に生かせそうなところを見つけたりするためです。子どもたちは、お互いに刺激し合いながら、自分自身を育てていることを忘れてはならないのです。3つめは、それぞれの友だちの工夫や努力を認め合い、作品を大切にしようとする心を育てたいのです。作品を比べて、優越感を持ったり、卑下したりするためでは決してないということです。

 一人ひとりの子どもの成長と、有意義な夏休みを過ごすために、この作品展があるのだということをご理解いただきたいと思います。


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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 7月号より

未来を生きる子どもたちのために

                          校長 藤田辰夫
 1学期も残り3週間ばかりとなってきました。子どもたちも今の学年に慣れ、やや規律にゆるみがでてきています。引き続き、あいさつ・制服の着こなし・着帽・廊下歩行など、基本的な生活習慣の徹底を図りたいと思います。
 さて、全国連合小学校長会の冊子に下記のような記事が載っていました。


 一保護者から次のような匿名の電話を受けた。
「我が子が市内硬筆展のクラス代表に選ばれ、張り切って放課後の練習を続けていた。ところが、学年代表には選ばれず、練習は終了になった。あんなに頑張ったのに…。その後、子どもは、書写の授業にすっかりやる気をなくし、道具も持っていかない。なんとか展覧会に参加させてやりたい。方法はないものか。」

「残念ながら、それは無理です。」と答えたものの、我が子を何とかしてやりたいのだという一生懸命な思いは、強く伝わってくる。話を伺いながら、「世の中に、努力しても成らないことはたくさんある。親の本当の愛情は、我が子が将来、挫折せずに生きていける力を付けることではないだろうか。今、挫折しかかっている我が子を救えるのは、我が子の努力を心から認めている親のあなたしかいない。それこそが、子どもが本当に求めていることに応えることになるのでは……。」という意味のことを必死になって伝えた。幸い、理解してくださったようで、その後の再度の電話で「子どもは元気を取り戻し、また頑張り始めた。」ということを知った。
     (以下略)            《小学校時報5月号より一部抜粋》


 子どもは、いろいろな場面で悔しさや辛さを感じることがあると思います。スポーツで勝利した選手たちは、「がんばれば夢は叶えられる」とか「努力は報われる」など話します。これは勝者の言葉であり、同じ努力をしても敗者は報われません。しかし、努力の過程をきちんと評価して、現実をしっかり受け止め、励まし、次につなげてやることは親や教師の役目ではないでしょうか。

 ところで、書家で詩人の相田みつをさんが、小学校のPTA会長をしていたということはあまり知られていませんが、ずいぶんと熱心にやられていたということです。その頃のノートのメモに、次のことばが残されていたそうです。

  一 わたしたちは、未来の社会を予測できない。
  一 子どもは、その未来の社会を生きるものである。
  一 そのとき親の手は届かない。

 「だから、子どもをどんな社会にも正しく適応し、たくましく生きられるように育てておくことが、親の大事な務めなのである。そして、学校教育もPTAもその延長線上にあるべきである。」と書かれてあったそうです。

 また、国語学者である大村はまさんは、
 「子どもを本当にかわいいと言うんでしたら、子どもが一人で生きていくときに、泣くことのないようにしてやりたいと思います。一番大事なと き、泣かずにすむようにしてやりたいと思います。」

 両者のことばは、子どもが未来をたくましく生きていけるように、失敗や困難に出合った時にこそ「優しく・厳しく」しっかり支援してやろうということではないでしょうか。


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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 6月号より

深く耕し、浅く植える

                           校長 藤田辰夫

 6月になるとほぼ田植えが終了します。植えたばかりの苗は少しの風にもその身をふるわせ、まだ頼りなげで心配になります。昔の農業の教えに「深く耕し、浅く植える」という言葉を聞いたことがあります。
 田を深く耕すことは、稲が生長するにあたり根を張る深さを決め、浅く植えるのは、稲の側芽の発芽と分けつ(根元から新しい茎が次々に出て広がること)を促進し収穫を増やすためと聞きました。
 7月初旬頃には、田の水をいったん落とし中干しをします。根は水や栄養を求め地中深く伸び、大きく張っていきます。深く耕しておけば、その分、根は地中に伸びます。そのため、台風などの風にも倒れない、がっしり太い根ができるのです。
 子どもの成長もこれに例えられるかもしれません。親は、深く子どもが成長できる環境を整えるが、決して過保護にしないで浅く教え見守る。別の言い方をすれば「敢えて厳しい環境を経験させ、大きく成長させる。」ということになるでしょうか。そして、ここから子どもの真の育ちが始まるのです。頼りなげな苗が、様々な困難を乗り越え、秋に稲穂をつけるように。


あんな子 こんな子 おごおりの子

 朝、いろいろな場所で子どもたちとあいさつを交わします。最近では、児童昇降口あたりが一番多くなりました。
 6年生の男子で、はっきり大きな声であいさつをする子がいます。最初に「君が、今日あいさつ一番だな。」と声をかけ、握手をしました。その後も「あいさつ一番だな。」というと、「この前も言われました。」「何回言われてもいいよ。」と言うと、ずっと本当にいいあいさつをしてくれます。 最近では、「一番だな。」と言わずに、アイコンタクトで握手だけします。あいさつにとどまらず、こういうふれあいが元気をもらいます。今日一日がんばろうという気にさせてくれます。これからも握手しようね。
 


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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 5月号より

初心忘るべからず。

                           校長 藤田辰夫

 「初心」という言葉があります。広辞苑を引くと 
  @  学問・芸能の学びはじめであること、またその人
  A  仏道に入ったばかりであること、またその人
  B まだ物事に馴れないこと
  C  初めに思い立った心、と出ています。

 新年度が始まりました。初めて学校生活を経験する1 年生も、他の学年の子供たちも、今年度に期待し希望や意欲に満ちた顔をしています。朝、通勤途上で見る風景の中にも、真新しい制服やスーツに身を包み、緊張の中に決意をみなぎらせ、街を歩く中学生や高校生、さらに新社会人を見ると、思わず「がんばれよ。」と声をかけたくなります。

 私は、毎年、年度当初のこの時期に、次の言葉を声に出して言うことにしています。
 十数年前のニチメン( 現在、日商岩井と合併して「双日」) の入社式で、当時の渡利陽社長が新入社員にした訓辞の一部です。それは、
「恐れるべきことは『初心を忘れる自分』ではないか。努力することを忘れ、勉強することを忘れ、感謝を忘れ、感動を忘れる。自分が敵だ。」
という言葉です。
 私は、この言葉を発することで、自分自身を鼓舞しています。慣れは、感性の鋭敏さをそぎます。慣れは、活力を減退させます。

 「初心忘るべからず。」
 
 言い古された言葉ではありますが、この時期にもう一度かみしめ、自戒の念としています。

 今年度も新たに、原点に立ち戻り、初めて教員になったときの気持ち、初めて校長になったときの気持ちを思い起こして、小郡小学校の教育にあたりたいと思っています。

 始業式では、子供たちに次のことを話しています。
  @  あいさつ山口市一位の学校を作ろう。
  A  目標は遠くに、めあては近くに。( 日々の小さな積み重ねを大切に)
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平成24年度版 学校だより 「そよげ風」 4月号より

新年度に思う

                           校長 藤田辰夫

 今年度から本校に赴任しました校長の藤田辰夫です。20年前、本校に8年間勤務したことがあります。当時は、児童数が1400名もおり、小郡南小学校と分離する頃でした。新校舎の完成も見ずに転出しましたので、現在の小郡小は、かつての面影もなく、初めての学校に来たような気分です。しかし、時にはそこかしこに、昔懐かしいものを見つけては、思い出にふけっています。よりよい学校作りに励みたいと思います。

 さて、新任の校長として旧豊浦郡に赴任していたとき、ある学校の校長室に次のような額が掛かっていました。

  学校は 人のいのちを あずかるところ
  学校は 人のいのちを 育てるところ
  学校は 命といのちが 出合うところ

 良い言葉だと思いすぐ書きとめました。漢字の命とひらがなのいのちは、微妙な意味合いで使い分けているのでしょう。聞けばずいぶん前から、その学校に伝承されているということでした。確かに時代は変わりましたが、昔も今も、学校の思いは一緒です。
 命の尊さが叫ばれる中、それに反して命の重さが軽く考えられる風潮の中、この言葉の持つ意味は心に響きます。新学期早々、各地で小学生の死亡事故が相次いでいます。本当に悲しく思います。本校の子どもたちは大丈夫かと心配でなりません。
 初等教育を施す小学校教育おいて、「いのち」をあずかり、そだて、であわせる、そんな大切な使命をかみ締め、指導に当たりたいと思っています。よろしくお願いします。

平成24年度の経営方針

学校教育目標

 『人間尊重の精神を基盤に、一人一人の児童に内在する諸能力と可能性を信じて、 「志をもち、知恵を出し合い、心豊かにたくましく生き抜く子供」を育成する。』


めざす子供像  「志をもち、知恵を出し合う子」

  温 (思いやりのある子)
  強(がんばり抜く子)
  活(進んで学ぶ子)


指導事項

  @ コミュニケーション能力を伸ばします。
     ・ 児童同士、教師と児童など、コミュニケーション能力を伸長します。

  A きまりを守り、守らせます。
     ・ きちんとした服装や時間を守らせ、規範意識の醸成を図ります。

  B 学ぼうとする意欲を伸ばします。
     ・学習へ向かう意欲の向上を図ります。


めざす学校像

(1) 活力のある学校
(2)きれいな環境の学校
(3) 思いやりがあふれる学校


地域コミュニティとして

 @ 保護者や地域に対する説明責任と開かれた学校をつくります。 
   ・ 学校運営協議会の目的を共通理解し、保護者、地域との協力体制を構築します。

 A 心遣いが感じられる環境づくりをします。
   ・ 身だしなみや言葉遣い、美しい環境づくり等、質の高い教育環境を実現します。

 B 地域ぐるみの安全対策をさらに進めます。  
   ・ 地域見守り隊、子ども110番の家等、学校の安全に関わる組織との連携に努めます。
   ・ 避難訓練、交通安全対策など、地域ぐるみの防災・安全体制の構築を図ります。
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平成24年度版 年度当初の校長先生のあいさつ

年度当初の校長先生のあいさつは、こちら に掲載されています。

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