(1121年〜1206年)
字名 俊乗房 俗名 重定
1121年 | ・紀 季重の子として、京都に生まれた。 |
1134年 | ・13歳で醍醐寺を出家 修行 |
1138年 | ・17歳で四国をまわって修行 以後、詳細は不明、 多分醍醐寺を中心に、遊行する生活を送っただろう。 |
1156年 | ・全国各地の作善作業や道・橋・池の修築や庶民に湯施行を行う。 (徳地に見られる石風呂) ・この間、仏師的技術を身につけていく。また、臨済宗の開祖、栄西とも 交友関係にあり、知己であった。 |
1180年 | ・京都で争乱の中、東大寺・興福寺が焼き尽くされる。 |
1181年 | ・61歳のときに、造東大寺大勧進に任ぜられる。 |
1185年 | ・大仏開眼が行われた。この頃から、東大寺造営の用材を切り出し、 「そまどり」を探し始めた。 ・佐波川、関水、瀬戸内海、奈良へ、困難にあいながら、ついに完成 した。 |
1206年 | ・病気を患い、衰弱がひどく、弟子たちに見守られて、6月5日入滅。 享年86歳。 |