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7.ふるさとにつたわる民話

(4)名をかえた面ぼう山(めんぼうやま)

 氷上(ひかみ)の妙見社(みょうけんしゃ)があるあたりには、むかし、氷上山興隆寺(ひかみやまこうりゅうじ)というそれはそれは大きなお寺がありました。妙見社は、そのお寺の境内にありましたが、そこでたくさんの人をまねいて開かれる「二月会(にがつえ)」という会には、いつもきまって能狂言(のうきょうげん:お面をつけてするおしばい)がおこなわれていました。このお話は、その時に使われるお面に伝わるふしぎなふしぎなお話です。

 では、はじめましょう。

 ある年の二月会のことです・能狂言に使われるお面が、はるばる荻から、たくさんのけらいに守られて、やんさやんさと山道を能舞台(のうぶたい)までやってきました。ところが、このお面は、おとのさまが大切にしているたから物の一つである翁面(おきなめん:おじいさんの顔をしたお面)で、ふしぎな力を持っていました。それは、どんなに日でりの時でも、このお面を持ち出しておねがいすると、すぐに大雨がふるということと、もう一つは、このお面を地上におくと、すうっと空高くまいあがって飛行機のように飛んでいってしまうということです。そういうお面ですから、けらいがお面をおいたとたん、あれよあれよという間に明るい光を出して飛んでいってしまいました。



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 さあ、大変。おとのさまの大切なたから物をなくしてはならぬと、けらいも狂言をする人も見物人もみんなして、わっさわっさと後をおいかけていきました。でも、翁面は、はるか雲のかなたにきえてしまって、かげもかたちも見えません。いよいよ大変。人々はあおくなって、とのさまのところに、知らせをつかわし、村の人たちは、毎日毎日、山をのぼり、草をかき分けてさがしまわりました。けれども、どうしても、ゆくえがわかりません。ところがある日、矢田の人が、「柊(ひいらぎ)の延命寺山(えんめいじさん)の松の木に、毎ばん毎ばんふしぎな光がします。」
と、山口の代官所へとどけ出ました。もしやというので、すぐさま、けらいが早馬に乗ってかけつけて、おそるおそる光る物を木からおろしてみると、それこそ、あの翁面だったのです。

 この時から、延命寺山は、「面ぼう山」と名をかえてよばれるようになりました。


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  けれども、松の木から取りはずした翁面には、あごがなくなっていました。これではいけないと、けらいたちは、そこら中をさがし回りましたが、とうとうみつかりませんでした。
 それから何年かすぎたある日のこと、けらいが、山口の古道具屋をのぞいていたところ、みおぼえのある翁面のあごだけが、ほこりまみれになって、店に出してあるではありませんか。店の主人に聞きましたがよくわかりません。けらいは、とにかく買って、萩に持って帰って、おとのさまにそのことをもうしあげました。すると、おとのさまは、
「それはおもしろい。ひとつくらべてみよう。」
とおっしゃって、あごのない翁面をだしてきて、あごをあててごらんになりました。すると、カチッと、音をたててふたつがくっつきました。そして、もうけっしてはなれることはなかったということです。


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