このページのトップへ

「 郷土読本 ふるさと大内 」 へ ようこそ!! 

  • 大内小学校
  • 大内小学校
  • 大内小学校
  • 大内小学校
  • 大内小学校
このページのトップへ

5.うけつがれているもの

(3) 馬頭観音

 学校の行き帰り、道ばたに馬の顔を頭の上にのせたような観音様があるのに気がついた人はいませんかこの頃観音様を馬頭観音といっています。

 大内には、ひめ山橋のたもとや、光円寺橋の近くのくぬぎ林などいろいろな所に、14こいじょうの馬頭観音があります。



ふるさと大内


   さて、この馬頭観音というのは、どんな観音様なのでしょうか。

 むかしは、田や畑の仕事をするのに、馬や牛の力をかりていました。だから、農家のどの家にも馬がいて、かぞくのようにたいせつにされていました。いねかりのころになると馬がずいぶんとはたらくので、えさをふだんよりもたくさんやっていました。ところが、そのために、からだの中でたくさんの食べ物がよく消化されなくて、足のうらにねつをもち、つめがいたむ馬もいました。また上あごに血がたまってしまい、いたがってえさをたべない馬もいました。そこで、動物のいしゃをよび、「血取場(ちとりば)」という所でちりょうしてもらっていました。馬を木につないで、口を開いて舌をひきだし、上のあごの血ぶくろにとくべつなはりをさして、悪い血をぬくちりょうです。

 農家の人たちは、たいせつな馬がこのようなびょうきにならないように、そして、お米がたくさんとれるようにいつもねがっていました。このようなねがいをこめて、馬頭観音がたてられてそうです。「血取場」は、ふつう、かわらや道ばたのそばにあったので馬頭観音もその近くにあります。

 そのころ、馬は、なくてはならないものだったし、とてもねだんの高いものでしたから
近所の人たちで「血組」というものをつくり、馬が生まれたり、しんだり、じこにあったりした時には、おたがいにたすけあっていました。血取りをした夜などは、血組の人たちがあつまり、馬が早くよくなるようにと、おすしをつくりおさけをのむことになっていました。今では、そんなしゅうかんはもうなくなりましたが、8月ごろ、馬頭観音のおまつりをし、おかしをくばるところもあります。また、きれいな花がいけてあったり、にはお金がそなえてあることもあります。今度、馬頭観音にであったら、よく見てみましょう。


ふるさと大内


このページのトップへ