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2.つくりだしているもの

 (2)大内にある工場

 大内にも国道262号線ぞいなどに、いろいろな工場があります。工場では大内の人もたくさんはたらいています。どんな工場があるか、地図やみてみましょう。



ふるさと大内


県経済連山口加工工場


ふるさと大内


福田屋のういろう

 山口を代表するおかしの1つに「外郎」があります。みなさんも、一度は食べたことがあるでしょう。外郎は山口のほかにも、京都・名古屋・大阪・金沢でもつくっていますが「山口外郎」というものをさいしょにつくりはじめた店が、大内の「福田屋」でした。国道二262号線を山口の方へまっすぐ歩いていくと、右がわにえんがわのある古い家が目めにつきます。ちょうど大内生活センターのむかいがわにあたるところにあります。もう店はやっていませんが、むかしは、「御堀の外郎」としてゆうめいなお茶屋でした。

 外郎は、もともとは頭痛やねむけざましのくすりとして中国から伝わってきたものですが、のちにおかしとしてつくられるようになったものです。福田屋でもつくりかたを中国の人からならったそうです。

 わらびの根からとったでんぶんと、あずきでつくったさらしあんを3対1のわりあいで水でときどろどろにしたものをむしてつくります。つくりかたはかんたんなようですが、まぜかげんや水かげんやむしかげんなどで、その店どくとくの味が生まれてくるそうです。味をおとさないために、むかしは、ほうちょうなどの金物はぜんぜん使わずに、糸できったり、ぬりものの木のはこでむしたり、竹のかわでつつんだりしていたそうです。 


ふるさと大内

 むかしこのあたりは、山口から三田尻へでるおもな街道があったため、いろいろな人が旅をしていました。福田屋は、その街道ぞいにあり、外郎で名が知られていたため、武士や町人はもちろんのこと毛利のとのさまもここをお通りになるときには立ちよられたそうです。『長州のとのさまは外郎で茶をのむ』とうたわれていたほどで、とのさまだけをお通しする部屋がとくべつにつくってありました。のちに明治天皇も、山口にこられたときによられ、山口のおみやげとして外郎を買っていかれたということです。
 400年ものむかし、旅人にやすらぎをあたえた外郎は、今にうけつがれ、山口のおかしとして毎日つくられています。


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