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4.学校のうつりかわり

(2)むかしの学校のようす

 明治・大正のころの学校でのようすを、大内小学校をむかしそつぎょうされたおじいさんに聞いてみました。


教科

 はじめは、全部の教科が、一さつになっていました。その後、修身.読み方・書き方・算術・ソロバン・歌の教科書ができました。大正時代になると、つづり方・国史・理科・・地理・体そう・しょう歌・図画があり、高等科では、農業もありました。

 修身というのは、今の道徳のようなものですが、本の中の文をみんなおぼえていました。また、読み方は、ナ・ハト・ヤメ・マスなどからはじまっていました。



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ノート

 明治のはじめのころは石板という持ち歩きのできる小さな石の板をつかっていました。のちに、ノートとえんぴつを使うようになりました。大正時代になると、線の入ったノートが小がでてきましたが、紙のしつは、今のノートとはくらべものにならないほどわるいものでした。習字は、新聞紙や一まいの半紙になんどもれん習し、まっ黒になるまでつかっていました。


かばん

 明治から大正にかけて、ふろしきをつかっていました。ふろしきに、教科書やべんとうをつつみ、ふろしきをかたからかけてわきの下でむすんだり、こしにまきつけてむすんだりして学校へ通っていました。大正の中ごろから、女子はぬのでふくろを作ってかばんにしていました。


ふくそう

 明治・大正とも、きものを看ていました。さむい時には、その上からはんてんをはおっていました。
 大正の中ごろから、なん人かの人が、洋服を着るようになりました。
 おいわいの日や入学式や卒業式など式のある日にははおり、はかまをきちんと着ていました。
 先生のふくそうは、男の先生は、つめえりのふくで、女の先生は、はおりはかまでした。大正時代になって、男の先生は、せびろをきるようになりました。


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はきもの

 晴れた日は、家で作ったわらのぞうりをはいていました。これは昭和二十年でごろまで続きました。雨の日は、げたなどをはいていました。大正時代になると、ゴムぐつがではじめ、遠足などではいていました。そして、雨の日は、雨ぐつをはくようになりました。


べんとう

 明治時代は、おにぎりを、竹のかわでつつみ、つけもの・うめぼし・にしめのうち、どれかをおかずとしてそえていました。やいたおにぎりを、紙につつんでいくこともありました。やくと、おいしいし、紙をなんどもつかうことができるからです。

 遠足の日には、たまごやき・かまぼこ・はす・こんぶなどがつきました。大正時代になると、べんとうごおり(竹であんだべんとうばこ)・木のべんとうばこ・アルミウムのべんとうばこなどがつかわれはじめました。
 おにぎりも、きなこやわかめをつけたりするようになりました。麦ごはんで、つけものが・おもなおかずでしたが、だいこん、いも、はす、こんにゃくなどのにもの(前のばんおかずののこり)やたまごやき、つぐだにがそえられるようになりました。


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