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2.つくりだしているもの
大内の農業
大内平野に青々と広がる田畑。大内では、むかしから、この平野で農業をさかんにおこなってきました。大内にはどのくらい農家があって、どんなものをつくっているのでしょうか。大内農業協同組合の人にたずねてみました。
『農家はどのくらいあるのですか。』
むかしは、農業だけでくらしをたてている農家(専業農家)が多かったのですが、だんだん少なくなってきました。今(昭和60年)では、大内にすんでいる人の家が3810戸あるうち、農業をしている家が609戸あり、そのうち、専業農家が62戸、つとめながら農業をしている農家(兼業農家)が547戸です。
『どんなものをおもにつくっているのですか。』
米が多いのもちろんですが、そのほかにも、むぎや野さいなどをつくっています。昭和10年ごろは、「長男の松たけ」といえばゆうめいで、松たけにくわしい人が遠くからわざわざみにこられたほどでした。そのころは、白さいもたくさんつくっており、「なんといっても白さいは大内だ」といわれていました。また、鳥をそだてたり、かいこからまゆをとったり、ぶどうをつくったりしていました。
今では、松たけなどは少なくなり、氷やむぎのほかに、ビニルハウスを利用したいちごづくり(80戸)やメロンづくりをおもにしています。また、乳牛(八戸)や肉にするための牛(五戸)を育てている家もあります。
『とれたものは、どこへ、おくるですか』
よくみのったイネを9月ごろかりとり、だっこくをして、農協にもっていき、お米にしてもらいます。農協では、15000ぶくろくらいをお米にしますが、ほかにも、佐々木さんという家で3000ぶくろぐらいしています。
とれた米や野さいは、農協を通して、よその県へおくっています。米はおさけのげんりょうとして、おもに神戸へ、いちごは広島へ、メロンは東京の方へおくりだしています。
農協では、とれた作物のせわをする仕事のほかに、お金をあずかったり出したりする仕事、農家でいるきかいや道具やひりょうをせわする仕事、農家の人のそうだんをうけてしどうする仕事などをしています。
『田の水は、どのようにしてとりいれているのですか』
農家の人たちにとって、水はとてもたいせつなものです。むかしは水あらそいがおこっていたそうです。そのため、農家の人たちは、むかしから水をまもるをとうばんをおいたり、水にたいするきまりをつくったりしてきました。
水をとるところは、田がある場所によってちがいます。長野や矢田などのように、仁保川に近いところでは、仁保川の取水口から用水路をひき、田に水を入れています。そのため仁保川には「いで」がたくさんあります。いらなくなって水は問田川に流しています。川に近いところといっても、問田は川よりも田の方が高いので、ポンプで水くみあげています。また、川から遠い山すその田では、ため池から水をひいています。大内には、およそ百ぐらいのため池があり、せわをする人が、池のせんをぬいたりとじたりしている所もあります。