わたしたちの大内南小校区
大内地区航空写真  大内南小学校区は、山口盆地の南東部に位置し、北方の山裾を流れる仁保川と小鯖から還流する問田川による沖積平野として形成されてきました。豊じょうな土地と豊富な水を利用して、昔から農耕が盛んに行われてきました。
 朝鮮・百済国の第3皇子と伝えられる琳聖太子が移り住んで以来、数代を経て、大内県(あがた)に居住しました。その後、大内氏を名乗り、24代弘世が山口に居を移すまで、この地で治めました。その後も、大内氏の氏寺であった興隆寺、仁平寺、多聞寺等の寺院を中心に栄えました。まさに、華やかな大内文化、発祥の地といえます。江戸時代には毛利氏の重臣益田氏が問田に居を構え、新田開発を盛んに行い、この地で栄えていました。
 山口市との合併の年(昭和38年)には山口国体開催に伴う国道262号線が開通し、その後も中国自動車道、宮野バイパスなどの交通アクセスの充実がみられ、他地域との交流を促進しました。
それに伴って、郊外農村であった大内地区にも急激な宅地化と店舗・事業所の進出が相次ぎ、人口の流入現象が起こってきました。校区の世帯数や人口は増加の一途をたどっており、県都山口市の新興地としてますます発展し続けています。
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