防府の高倉村にあった高倉荒神様は,途中平川の高倉山にうつされました。しかし,大変な山の中で,お参りが不便であるということから,ふたたび今の場所に移されました。
 ところがその年の大正三年に,恒富地方に大粒のヒョウがふり,稲や野菜に大きな被害(ひがい)を出しました。当時の人々は「神社を移したので,神様がおいかりになられたのだ」と思い,これまで以上に神様を大切にするようになりました。

荒神様として親しまれているのは,「高倉荒神社」です。平川小学校の南の方にある諏訪山(すわざん)に恒富八幡宮(つねどみはちまんぐう)と並んで建っています。



今から千数百年前,大内氏の祖先(そせん)と伝えられる琳聖太子(りんしょうたいし)という人が朝鮮(ちょうせん)から日本に渡ってきました。そのとき,海の安全を守る神様として防府の高倉村というところに高倉神社をまつりました。
 その後,平川に移されました。











平川には,「荒神様」(こうじんさま)といわれる有名なお祭りがあります。
毎年,2月28日に行われるこのお祭りは,その年の豊かな実りをねがう農業のお祭りです。このお祭りには,平川だけでなく市内,県内からも多くの人をおむかえします。
 















 
 この境内(けいだい)にわき水が出るところがあります。この水は神様の水として,毎年節分の日に水の量をはかり,その年の米のできぐあいを予想し,お祭りにきた人たちに知らせていました。これを「御礼(おためし)」といいます。
 荒神様のお祭りは,むかしは正月,五月,六月に行われ,正月に「御礼」の神事をおこなっていました。このようなことから,高い山の上にあるにもかかわらず,豊作を願う農業の神様として,今でもたくさんの人がお参りをしているのです。
 まだ自動車が今のように多くなかったころは,荒神様のお祭りの日には,湯田駅から平川行きの臨時バスが出ていました。そのくらい大きなお祭りでした