
浮いた話はありませんから生真面目な人だったのでしょう。
趣味は、碁。江戸城では、もっぱら碁を打っていたそうです。強かったかどうかは、わかりません。
それから一人で飲むお酒。敵塾時代では、肴はもっぱら豆腐だったとか。それからやはり江戸に出た時に古美術鑑賞をしたそうです。でも、実は江戸城に残された古美術品がどれくらいで売れるか調べていたという話もあります。そのころ、益次郎さんは、どうやって軍備を整えるか頭がいっぱいだったからという話もあります。
性格は物静かで、無口で、親孝行で、どちらかというと人づきあいは苦手だったみたいです。特技は、医学・語学(オランダ語後に英語)・数学・兵学・工学のようです。
西洋に通じた益次郎さんですが、同じ時代に生きた人々が写真を撮っているのに、写真は撮らなかったようです。それで写真が残っていません。顔は死んでから思い出して描かれたものしか残っていません。それに、新政府になって、洋式の軍服を考えたのにも関わらず、益次郎さんは、純日本風の服装の姿だったみたいです。益次郎さんが西洋かぶれという説はあたりません。
それに、益次郎さんは、景色の優れたところとして生まれ故郷を挙げていたとか。
宇和島藩時代は、兵学指南や翻訳を主にしていました。
この頃から益次郎さんのことは、兵学者として全国に知られ始めました。
幕府の講武所時代も同じような生活だったようです。
長州藩の時代は、兵学の先生からはじまって、武器の調達や留学の世話などいろいろなことをしています。最後は明治政府の時代で、兵部大輔(ひょうぶたゆう)つまり陸海軍の総司令官をしました。身分は、現代風に言えば伯爵くらいでしょう。
いばらず飾らず誠実で、常に自分に与えられた仕事を精一杯やった人だったように思いました。