秋穂町の生い立ちを調べてみますと、すでに、平安初期の和名抄に、現在の秋穂や大海の地にあたる郷の名称が記されておりますことから、かなり前から開けていたということがわかります。また、大内時代には、秋穂は海口として要衝の地であり、現在でも当時の港から大内氏の本拠があった山口市までの街道跡が残っております。
校区内には、秋穂霊場八十八ヶ所をはじめ、県指定文化財建造物を擁する正八幡宮や、明治維新の先駆者である大村益次郎先生の生誕地碑と御両親の墓、日地の石風呂、無形文化財の赤崎神社十二の舞など、数多くの史跡や文化財がありますし、白砂清松の中道海岸は海水浴やウィンドウサーフィンのメッカとして知られています。
産業としては、面積の1/3が農耕地で、稲作や特産品のキャベツやたまねぎなど野菜の生産が盛んに行われております。また現在はさほどではありませんが、ミカン栽培も盛んに行われておりました。現在でも大海湾を望む斜面で見られます。
漁業は、底引き網漁、刺し網漁が中心でありましたが、塩田地跡に山口県内海栽培漁業センターが設置されてから、車えびをはじめ赤貝や高級魚などの種苗生産が盛んになってきております。
同センターは育てる漁業の先達として国内外から注目され、海外からの視察や研修生の訪問が多いということです。
事業所としては、乾燥機製造工場、コンクリート製品製造工場、縫製工場などがありますし、採石場も数カ所あります。このため、最近は町内外からの通勤者も多く、朝夕の時間帯には、防府方面あるいは山口・小郡方面の幹線道路は車の通行が頻繁になっております。
私どもの学校は、町に1つの中学校であり、そのため町民の学校に関する関心は高く、また教育活動にも非常に協力的で大変感謝致しております。
生徒数は毎年、290人前後が在籍しており、数年来、ボランティア活動を通して心の教育・情の教育を行ってまいっております。
このホームページを通して、皆様方と教育について語り、また他校との交流を深めるなかで新しい日本を担う生徒達を育ててまいりたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。