大悲山・六角堂(旧得楽寺江月庵)

 大海中条の山頂、大海湾の海の向こうまで一望できる景勝の地にあります。秋穂霊場第一二番札所になっているところで、この六角堂は大内義弘の創健と伝えられています。
 義弘は、防長富石の四州の太守となり、山名時氏追討の院宣をうけました。仏天の加護、大悲の妙智力を仰ぐため、紀州那智山の観音様へ二十一日間断食をして参籠祈願しました。そのおかげで大勝し、紀泉二州を拝領しました。よって、那智観音像を勧請したいとねがったのですが、夢に観音像が現れて「われは他国に参ることができない。われに代わる如意輪の観音像が京都六角堂に二体あるから、その一体を請待するように」とのお告げお受けて勧請し、大海の地に堂宇を建て奉安したのが始まりと伝えられています。
 その六角堂の本尊如意輪観音像は行基菩薩の一刀三札の作と伝え、高さ八寸(二十五メートル)の尊像で、二十一年毎に開扉、本寺である大昌寺に遷座されて一週間供養が行われます。
(寺伝、風土注進案、地下上申、寺社由来)
「秋穂町の史跡と伝説」田中穣編著 秋穂町中央公民館

タイピング 江田・横垣・大田・西山・原田・原田・平田(陽)・平田(裕)・藤尾・道中・渡辺

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