よって、義長は長府に走って長福寺で自刃して果てましたが、このとき、森王弥権太夫は長府より引き返しながら、世の無常を悟り、身につけていた大小を投げ捨てて仏門に入り、村人の葬儀には上下(かみしも)を着て弔いましたが、寺格なしとして戒められたこともありました。
その後南条の大村庄屋の心配で舟木正円寺の末寺東泉寺を貰い受けて東泉寺と改めました。その後森王家は三家にわかれ、長男の甚左衛門が本家を取り、次男が東泉寺を新しく建て、三男甚四郎が秋穂小路の海岸に住居を設けて医業を開きました。これを天野養軒というとあります。そして本家を陣処、寺を白草、医師をした天野は現在は門司にその後裔がおられるそうです。