第一番札所・大師寺

 第一番の札所をおかれたのは正八満宮境内の御影堂でありました。
 正八満宮がまだ二島にあった頃には弥勤堂といって、大体本殿と同じ関係位置にあったことを古地図で知ることができます。
 奈良時代以後本地垂迹説がとなえられ、平安時代には、神前読経が行われるようになり神名にも大菩薩号がつけられるようになり、神は仏の化現という思想が広まります。そうした形をこの八幡宮と大師堂の関係にみることができます。

 八十八ヶ所の年中行事となった法要には次のものがあります。

 旧一月二十一日 初御影供 弘法大師初冥日法要
 旧二月十五日 ねはん会 釈迦如来入滅法要
 旧三月二十・二十一日 正御影供 弘法大師入定の正月法要
 旧四月八日 仏生会 釈迦如来降誕法要
 旧六月十四・十五日 大師降誕会 弘法大師降誕法要
 旧八月二十・二十一日 終御影供 弘法大師終冥日法要

 これらのうち春3月二十・二十一両日の法要が最も人出も多く、荘厳に行われるものです。この両日各札所ではそれぞれ接待がありますが、とりわけ、一番札所での荘厳な供養には秋穂・二島両郷の真言宗寺院僧侶が参集して行われるので、秋穂霊場千部経の供養と言われました。
 両日は近郷はもとより遠く他県からも数万の巡拝者が集まり、八幡宮境内に市がたち、盛大そのものでした。

 この札所はもと正八幡宮弥靴堂を御影堂と改め、いつの頃か不明であるが天田の地蔵堂を移したということで、地蔵堂と呼んだこともあり、一般には単に大師堂と称しました。それを現在の寺号大師寺に改められたのは昭和二十七年のことであります。

(大師寺文書、役場文書)
「秋穂町の史跡と伝説」田中穣編著 秋穂町中央公民館

タイピング 江田・横垣・大田・西山・原田・原田(彰)・平田(陽)・平田(裕)・藤尾・道中・渡辺

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