赤崎神社(1)勧請と祭り
大海村の氏神

勧請と祭り
 大海の赤崎神社の創建は社伝によると神亀四年(727)であります。
 代々この社の社家を勤めてきた道中家文書によりますと、天智帝の御宇(六六二−六七一)宇佐島より三女神の御供をしてこの地に来たとあります。

 同社境内の本殿裏の亀の甲由来碑でもこの天智天皇庚午(六七○)年より一一四四年後にあたる文化十年(一八一三)にこの碑を建てたと刻まれています。
(社の鳥居にも文字が刻まれていた形跡がありますが読みとることが出来ないばかりか、いろいろの古記録のの中にもこの鳥居の文字の記録は見つかりません。)

 これらのことから赤崎神社は天智天皇頃に勧請し、社殿を創建して祀ったのは神亀四年頃ということでしょう。正八幡宮よりも約一世紀近く古いことになります。赤崎神社の祭神は三女神で、市杵島姫命、湍津姫命、田心姫命の三女神を祀っておりますが、この三女神を宇佐神宮では正面中央の二丿殿に祀ってあります。これらより赤崎神社も正八幡宮も共に宇佐から勧請したものですが祭神はそれぞれ違っています。

 祭日は今は九月二十七日を正祭としていますが、昔は八月一日に八朔会、八月八日五穀成就祭の正祭が行われていました。  赤崎大明神は、特に牛馬の神として広く知られ、その分神を、祀る赤崎社が各地にあります。そしてそれらの赤崎社に共通なのが、牛馬安全守護の神、海上安全守護の神という点にあります。

(社伝・道中家文書・風土注進案・藤家家文書・漁業関係慣行調書・文書館)
「秋穂町の史跡と伝説」田中穣編著 秋穂町中央公民館

タイピング 国際科学部 江田・横垣・大田・西山・原田・原田(彰)・平田(陽)・平田(裕)・藤尾・道中・渡辺

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