
皆の願いが神仏に通じたのか、しばらくするとふるえもおさまり、熱いお湯を飲ませ、背中をさすりながら、甚右衛門は一体どうしたのだと尋ねました。
女房のおまさが申すには、夕食の準備を年老いた母と一緒にしていると、にわかに頭がグラグラしてめまいがしてきて、足はガタガタふるえ、とても立っていられないようになったので寝間に入り、敷布団をのべ、掛け布団を出すや直ちにその中に寝込んでしまったのです。そして私はもう夢にうなされてしまいました。
それは家の前の池の土手を一人で歩いていました。その池には白蟻のついた木臼をつい先ほど甚右衛門がつけたばかりです。その木臼は以前海辺に流れついたものを甚右衛門が拾って帰っていたものです。
池の土手を歩いていると、急に後ろから馬の足音がします。ふり返ってみると17、8の若く美しい、まるで内裏雛のような、お姫様のようにきれいな着物を着た女の人が私の方を見て、ニッコリと笑うのです。今まで見たこともない人なので、私はその人の視線を避けるように前に向き直るや、二歩三歩、歩き出しました。
と急に、そのお姫様が私の後ろから抱きついてきました。あまりのことに私は手も足も動かなくなりました。ウンウンうなっていましたが、のどが渇いて声も出ません。逃げようと急ぎましたが、あせっても足が動きません。私は助けを求めようと大きな声を出そうと思ってもがきだしました。ふときがついてみればあなた方の心経が聞こえるのです。私は眼がさめたのです。アア怖かった、と話すのです。
まあよかった。よくなってよかった、今夜も遅いことだし、ゆっくり寝るがいいと言いながら、家の人たちも早めにその晩は休むことにしました。
翌朝になっても、おまさは頭が重くて、なんだか起きられそうにないといって寝たまま、ほんのわずかばかりお粥を食べました。家の人たちもそれぞれ仕事を始めた頃、おまさはウトウトと眠りに落ちました。ところがまた前の晩と同じようにお姫様がすがりつく夢を見ては、うなされるのでした。
甚右衛門も途方に暮れ、人にすすめられては薬をあれこれと買ってきて飲ませましたが一向にその効き目がありません。途方に暮れているある日の夕方、一人の山伏がきて一夜の宿を求めました。
病人もあることだし、人手もないからと一度は断りましたが、修験者の山伏に御祈祷してもらおうと思い直して、丁重に迎え、夕飯の後甚右衛門は山伏におまさのことを話しました。山伏はしばらく御祈祷をし、占いをしていましたが、やがて甚右衛門にむかってこう言うのでした。
「さる高貴の姫君の墓のしるしに植えてあった松の老木を切って作った臼を、お前さんが池に沈めたので、その松の木にやどっていた姫君の精霊がおまさに救いを求めたのだ。早速池からあの臼をあげ、清めた土地に安置し、丁重に祭るがよい。お前さんは縁会って必ずや報いを受けるであろう。」
この話を聞いた甚右衛門は翌日その木臼を池からあげて、きれいに洗い清め、床の間に丁寧に斎き祭りました。それを見て修験者も一心に祈祷してくれました。
女房の病気は薄紙をはぐように次第に良くなっていました。甚右衛門一家は幸せな年月を送るようになりました。地下の人たちもこの話を聞いて、この臼を祭る臼木明神を建てて毎年九月二十四日を祭日と定めました。この社は天保頃には横一丈、入一丈二尺の瓦葺の社が新しく出来上がっていました。
今はこの社は正八幡宮に合祀されていますが、この社があったところに、今も「臼」という地名が残っています。
そして正八幡宮の神庫のなかに、御神体として祀ってきたという大きな虫食いの木臼が今も大切に保管されています。