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(横沼・村岡 提供)

山婆の話
 −祇園様に助けられた漁師の話−

 今から約260年前、秋穂浦が井原氏領であった享保2年の冬のことです。新町(今の祇園町)に勘七という漁師がいました。勘七には弟があり、二人はいつも船に乗って漁に出かけるのが仕事でありました。ある日のこと二人はてぐり網を引きに青江湾に出かけました。てぐり網というのは冬の間、浅瀬の底にいる魚を捕るため、二人一組になって網を引く漁法です。

 網は少し潮が引いてから入れるのですが、勘七たちが青江湾の入口についたときには、まだ少し早いので、しばらく待つことにしました。北風がビュービュー吹いて身を切るように寒い日でしたから、ジッとしているわけにいきません。いつものように二人は船から下りて五位殿岬に船をつけ、しばらく待つ間、焚火をすることにしました。

五位殿岬というのは今青江湾堤防がある、あの堤防の東側のところで、ここには五位殿様というお宮が祭られていました。その付近は昔は一面に松林があって、その蔭で焚火をして暖まることにし、枯れ木や松葉をかき集め、かじかんだ手で火打ち石をすり合わせて火をつけようとしました。昔のことですから、マッチもライターもなく、石と石と打ち合わせて出る火花を火種にしなければいけなかったのです。長い時間かかって、やっとのことで火をつけることができました。みるみるうちに火は勢いを増して燃え上がり、二人の顔を赤々と照らし出しました。

 ところが、その火を見つけて、どこからか山婆が出てきて、後ろから静かに二人の間に割り込んできました。二人はそのことに気づくと、身の毛もよだつ思いで、兄の勘七はとっさに弟に向かって言いました。

「おい、お前、船に雑魚があったろうが。あれを持ってきて、この婆さまにあげるがええ。」と言いながら目くばせしました。弟は
「うん、じゃー持ってきてあげよう。」
と言いながら、船の方へ走っていきました。間もなく
「にいちゃーん、雑魚はどこへおいたかのー、わからんがのー。」
と闇の中で手探りしているようす。
「バカ!ついそのびくの中にあろうが、わからんかのー、のうなしが。」
と言うが早いか、勘七も船の方へ駆け出しました。

 渚につくや船に飛び乗り、勘七はいかりを引き上げる。弟は竿で船を力一杯押し出し、二人は一緒になって息せきながら、漕ぎ出していきました。その時おそく、かのとき速く、山姥も駆け寄ってきてオールに かみついて、ジリジリと船の方へたぐり寄ろうとします。口は耳元まで裂け、牙のような歯をむき出し、髪は逆立ち、目は爛々とすごんでいました。 兄弟は脂汗をしぼってオールから山婆を振り離そうと力の限りをつくしました。そしてとっさに心の中で祇園様と竹島明神様にお助けを祈りました。

「どうか助けて下さい。難を逃れることができたら、きっと松の木を奉納いたします。」と日頃からこの二方の神様に神木を寄進したいと心の中で思っていながら、ついそれができずにいることを思い起こしてそうお祈りしました。

 祇園様も竹島明神も浦にすむ人たちは自分たちを守って下さる氏神様として祀ってきている神様です。急場のとき、神様はきっと勘七たちの願いを叶えて下さったのでしょう。山婆は不思議にオールから手を離し「今少し早かったら、餌食にしてやろうものを、残念なことをした。」
と言い残して、どこかへ逃げていきました。

 勘七兄弟は危ない所を助けられ、浦に帰ってきて、この恐ろしかった様子を皆の者に話しながら、これはきっと、祇園様と竹島明神のお助けがあったから、無事帰ることができたと喜びました。

 その翌朝、勘七兄弟は五本のマツを買ってきました。そのうち四本を祇園社境内に、一本は竹島明神に寄進して植えつけました。その松の木はどれもよく成長していきました。強い台風で倒れかかっても起き直り、枝は垂れて、どちらから眺めても、実に美しい姿、美しい松の木になりました。

 いつとなしに、この地方で古い代表的な松の木になりました。秋穂の松の木が庭木や盆栽松として所望されるので、人々はこの松のみをまいて苗木を育てるようになりました。今はもう祇園様の松の木はなくなりましたが、その子孫の松は所を変えて育っています。

                    (末繁家文書・祇園社日記より)


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