秋穂八十八ヶ所
秋穂八十八ヶ所について、秋穂公民館がまとめられたものを参照しながら紹介します。(浜崎)
なお、一部、地区にお住まいの原田亮雅氏の指摘をいただき追加しました。
●秋穂88ヶ所の由来
秋穂八十八ヶ所の祭り方
1四国霊場の本尊を祭る札所・・・三十ヵ所
2札所に伝わっていたお堂の本尊を本尊とする所・・・三十七ヵ所
3弘法大師・・・六ヵ所
4その他・・・十八ヵ所
最も多いのが、その場所にあった古跡の仏像を札所の本尊として祭っている所です。でも、年月がたち、世代が替わると,果たして何様の古跡であったか知る人もなく訊ねてもよくわからないのが<4その他>の中にあるそうです。弘法大師を本尊とする所はあまりありません。これは、大師参りのとき納札に奉納八十八ヵ所同行二人と書くが、弘法大師のお導きによって霊場を巡拝するという考えからであると言われています。
各札所には、本尊を表示する木札が掲げてあります。そして、大師堂の祭壇には弘法大師像が正面に、その側に本尊像、諸仏像が祭られ、小社跡の礼所では神像や神だなのあるところもあります。
各礼所の祭り方について次の三通りがあります。
1寺院が直接管理する所・・・・・・・・・・・・三十一ヵ所
2祭り組の講中が管理する所・・・・・・・・・・五十二ヶ所
3個人が管理しているもの・・・・・・・・・・・・四ヵ所
これから、ほとんどの礼所が寺院が直接に管理するか又は祭り組が共同して管理をされていて、個人が管理するのは、四ヵ所だけとなっていることがわかります。
正八幡宮と大師堂(一番札所)
次の文は正八幡宮の解説です。
正八幡宮境内に大師堂が開かれたのは、四国霊場勧請の年より一二一年前の寛文三年(一六六三)のことである。
秋穂・二島の真言宗寺院側の申し出で、お宮の神職氏子総代も同意して八幡山に二間四方の大師堂を建てた。
ついで貞享年中(一六八四〜八八)に、古宮時代から境内にあった弥勒堂を再建することになり、この時お堂を四間四方と大きくし、大師堂と相堂にして一緒に祭るようになった。(正八幡宮由来書)
よってここに一番礼所が開かれてからも、従来あった弥勧堂の本尊・弥勧菩薩を本尊として今日に至っている。
お宮は明治以前はお寺が別当坊としてお祭りをしてきました。
(原田亮雅)
この大師堂が高野山系の(大師寺)として独立したのは昭和二十七年である。
一番の大師寺は、高野山系でなくて私寺と同じく仁和寺系(御室派)。
秋穂には、真言宗のお寺が11寺あります。
秋穂に御室派のお寺が11寺の内7ケ寺あるのは、秋穂の庄が仁和寺の荘園だったからです。(原田亮雅)
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