秋穂八十八ヶ所由来

遍明院(へんみょういん)第8世性海法印(しょうかいほういん)は、宗祖(しゅうそ)である引法大師を大変尊敬し、何度も四国八十八ヶ所を巡拝しました。

そして、みんなが仏の力で幸せになれるように願い、天明3年(1783)42歳のときにある決心をしました。それは、この秋穂にも八十八ヶ所霊場を作るということです。

そこで、遍明院の保護をしてくれていた人々の中でももっとも信仰の厚い下村畠田の人、戎屋作右衛門(後に遍明院の役僧となり善心法師と称し、後に後生作兵衛と呼ばれた。)とともに四国八十八ヶ所の霊場、第1番阿波の国霊山寺より順次巡拝し、各霊場ごとに御本尊の御符と敷地の土砂を受けて帰郷しました。

そして秋穂両郷に88の霊場を定めて、それぞれの地に土砂を散布し、その上に大師の像を置いて祭りました。こうして秋穂の88ヶ所霊場ができたのです。

でも、出来た当時はいろいろと誤解もあってお堂が破られたり、大師の像がなくなってしまうこともよくあったようです。

しかし、性海法印と善心法師の2人は心をこめて弘法大師のことや仏様のことをみんなに話をしたので、やがて秋穂の人々も協力するようになりました。そして信者も増え、今では全国的にも知られるようになり、毎年、たくさんの巡礼の人々がやってきます。


資料:秋穂町史 秋穂中学校国際科学部提供

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